最後のホワイト通信(3/14)

IMG_82173月14日の早朝、スノーホワイト号が亡くなりました。
深夜から那須では粉雪が舞い、明け方にはうっすらと雪景色になりました。
その中でホワイト先生は真っ白な馬体を横たえて、静かに目を閉じました。
苦しむこともなく、穏やかな旅立ちでした。
ホワイトデーが命日になってしまいました。

今月初めに体調を崩して血尿を出し、下痢が止まらなくなりました。
すぐに獣医に診察してもらったところ、胃腸炎を起こしていることがわかり、治療してもらいました。経過はよかったのですが、12日の夕方、放牧中に突然倒れてしまい、起き上がることができなくなりました。獣医の見立ては、老衰が激しいということで、何もできないと言われてしまいました。
預託先のブレーブステーブルのスタッフ、八重樫さんと土橋さんが必死に介抱して下さいましたが、そのまま放牧場で夜を明かすことになり、もうダメか、と皆が諦めかけたとき、突然、ホワイト先生が立ち上がりました。倒れてから、16時間後のことです。普通はあり得ません。
しかし、脚に力が入らないらしく、数分後にまた倒れました。
さすがにもうダメかと思ったら、何と、その三時間後に再び立ち上がったのです。
それが両脚で踏ん張っている写真で、結局、これが生前のホワイト先生を写した最後の写真になってしまいました。
わたしは、この写真を見て、何てカッコいいんだろう、まだ目は生きている、全然諦めていない、これこそ「不屈の男」だ、と思いました。
そこから更にがんばり続けて、その18時間後に亡くなりました。
苦しむことはなく、最後の最後まで生き続けようと努力していました。
最後の瞬間、立ち上がろうと両脚を大きく動かした後、突然、脚を地面に下ろし、静かに大きく息を吐き出して目を閉じ、27年の生涯を終えました。

去年の夏、猛暑に体調を崩し、ホワイト先生は死にかかっていました。
ホワイト募金の呼びかけに多くの会員さんたちが応えて下さったおかげで、ホワイト先生を那須のブレーブステーブルに行かせてやることができました。
那須に移って数日後には血尿が止まりました。食欲も戻り、毛艶がよくなり、表情が明るくなりました。その様子は、これまでに何度かホワイト通信でお知らせした通りです。
毎朝、放牧に出るのをとても楽しみにしていて、時には自分から釘にかけてある無口を引っ張って、早く外に出してくれ、と催促したようです。気の合う仲間もいて、いつも三頭で楽しそうに放牧地を歩き回っていました。那須での生活を心から満喫していたのだと思います。

ホワイト先生が那須で過ごしたのは八ヶ月ほどです。
わずか八ヶ月……
できることなら、もっと長く、いつまでも幸せに暮らしてほしかったと思っています。
それが残念でなりません。

しかし、わずか八ヶ月、されど八ヶ月です。
馬の生涯は苛酷なものです。
幸せに過ごすことができるのは、生まれてから一年ほど、母馬と一緒にいられる仔馬のときくらいで、その後は、競走馬として厳しい訓練に耐えなければならず、優秀な成績を収めなければ、その先はありません。運よく乗用馬になれたとしても、病気や怪我など、様々な困難が起こりますし、無事に天授を全うできる馬は、ほんの一握りです。
ホワイト先生は、その一握りの幸運を手に入れることができました。
この八ヶ月は、ホワイト先生にとって黄金の日々だったことでしょう。

「メモリアルヒル 那須の丘」という墓地にホワイト先生を葬ることにしました。
ここには大切に慈しまれてきた犬や猫、馬のお墓があります。
春になるとたくさんの花々が咲き誇る美しい場所です。
人間と同じように馬にも寿命があり、いつかは悲しい別れをしなければなりません。
彼らの思い出を大切にするために、名前を刻んだプレートやたてがみを、この場所に安置するつもりです。
ホワイト先生だけのお墓にするつもりはないので、今後、不幸にして亡くなった馬たち、あるいは、すでに亡くなった馬たちの思い出をここに埋めてはどうか、と考えています。
この件に関して、ご質問などある方は富樫まで問い合わせて下さい。

ホワイト先生に代わって、最後の挨拶をさせて下さい。

心優しい会員のみなさん、今までホワイト募金をどうもありがとう。
この八ヶ月、ホワイトは本当に幸せでした。(^▽^)

富樫倫太郎

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